これについてはこれまで何度か話してきたと思います。
ひとつは、特発性側弯症を発症して半年間まともな生活を送ることができずにリハビリの日々だったことを経て「かろうじて元気なうちに自分が楽しく過ごした記録を残したい」という思い。
もうひとつは、引退してからかなりのブランクがあるけれどまた趣味程度に音楽をしたいという思い。
これらは事実です。
ですが本当はもうひとつ理由がありました。
それは、ある日偶然ネットで発見した、幼い頃に離れ離れになってしまった私の長子の近くにいたかったからです。
もう少し詳しく書きます。書きますが、何度書き直しても長くなるし非常に刺激的な話になってしまうので短くまとめようと思います。
どういうことかというと、大昔私は約四年間DV被害を受けていました。
その中で誕生したのが件の長子です。
育児疲れのピーク時に姑に取り上げられるような形になり、その後夫の「役者になりたい」という夢を支援しろと夫婦で他県に追い出され、そこでもDVを受けたので通報して離婚にいたりました。
離婚の取り決めで「親権はそちらでいいが、すぐに母から孫を取り上げたら何をするかわからないから子を渡すのは時期をみてにしてほしい」と言われ、何をするかわからないのはわかりきっていたので了承しましたが、実際の届けは父が親権を持つ形で提出されてしまいました。
絶望的な気持ちになりましたが、その頃の私の状況的に積極的に戦うことが難しかったので「何かあれば絶対に連絡をする」という約束を長子を取り巻く色んな人に取り付け、それで一旦は落ち着くことにしました。
それから誰からの連絡もなく時は経ち、長子がもう未成年ではなくなった頃のある日、私の検索にやっと引っかかった長子はものすごく不安定なメンタルに育っていました。
その原因のひとつは間違いなく私なんだろうと思いましたが、そればかりが原因ではないはず。
でもあちらの家族と話そうとすれば未だに震えるぐらい無理で。
だから、違う方法で確認する機会を伺っていました。
直接関わったり名乗ることは多分しないけれど、なんらかの形で力になりたいなと考えていました。
私ではない誰かを長子が「お母さん」と呼んでいたのは知っていたので、それぐらいしかできないだろうなと思っていました。
そうしているうちに長子が活動者になったんです。
それを見て私は陸地に行こうと思いました。
そういうことでした。
今回この話をしようと思ったのは、この件を少し知っている人の口から中途半端に吹聴される可能性を感じるようなことがあったからです。
その前に自分から公表しようと思いました。
【ここからは蛇足です】
それでも元義実家に連絡して聞けばいいだろうと言う人もいると思います。
「子供の面倒をみないなら仕事をしろ」
「外で働いたら悪い虫がつくから外に出るな」
「私の孫を連れて出かけるな」
「子供を置いて外出なんて神経を疑う」
こういうことを何度もすごい剣幕で言われ続けていたんです。
ひとりも知り合いのいない土地、自分の実家も新幹線で7時間ぐらいかかるところで。
人見知りなのでウジウジして見えただろうしイライラもしたんだろうと思いますが、酷く怒らせたり嫌われるようなことをした覚えはないんです。
覚えがないだけで何かやってしまった可能性もあるのかもしれないけど。
親権について抗議の電話をかけた時に出た舅は「ざまぁみろ、ばーか! ほなさいなら!」を爆笑しながら連呼していました。
今でも時々夢に見ます。
あれほどまでに強い悪意を感じたことがなかったせいか忘れられません。
私なりにできることはしたつもりでいるので、意見は遠慮していただけると助かります。
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