あるところに所属してから何年とか、あるものの依頼をしてから何年とか、色んな条件をつけて自分を誤魔化し続けていたけど、9/14でヒトデくん(私の息子)が二十歳を迎えることをきっかけに色んなことを決断することにしました。
あ、参考までに言うと今酔ってます。
酔ってるけど、酔っていても私は思っていることを表に出し過ぎるだけで、全く思っていないことや言ったことを忘れてしまった経験はないので躊躇することなく今これを書いています。
むしろ今じゃないと書けないと思ったし。
2025年9月14日をもって蒼依みうはYouTubeとXの更新を停止します。
何かあれば再開する可能性はあるけど、何もない可能性のほうが高いですとしか言いようがないです。
以前は配信などで「私は休むことはあっても引退宣言はしないと思う」と何度か言ってきましたが、リスナー側からしたら休みも引退もほぼほぼ変わらなくて、興味がある時に活動していなければ例え重い病気だったとしても相手に気づかれるような形で離脱するということがよくわかった瞬間がもしかしたら一番の衝撃だったかもしれないです。
配信者なんだから数人がそんな行動を取っても気にするなって思うかもしれないけど、そもそも登録者数の少ない配信者を好んで見る理由ってなんでしょう?
距離感が近かったりコメントを読まれる確率が高いからじゃないですか?
だとすればこっちの立場になって考えたらわかると思うんですけど、Xをフォローしていて配信にもコメントしてくれるリスナーさんのことはほぼほぼ認知してます。
全然その他大勢じゃないんですよ。
いい意味でも悪い意味でも見えすぎてます。
昨今は見えづらくなったことが良くない方向に働いて、何も伝わってなくて空虚な気持ちになることが多かったです。
自分のことで精一杯で追う人が目まぐるしく変わる人たちに約束みたいなことをしてそれを守っていく必要があるのかな? ないよねって思いました。
これはずっと追ってくれていた人たちにとっては謂れのないことで非常につらい言葉だとは思います。
ごめんなさい。
でも私も辛かったです。
SNSが生活の中心で、本当は何を感じても思ってもそれはその人だけの感覚で誰にも咎められることなんてないはずなのに、SNSで自分と同じような気持ちを表明している人が叩かれているのを見る度に自分の感情がおかしいんだと思っていくようになりました。
そんなわけないのは今ならわかります。
でも、人前に出て活動してる意識が強い時はネガティブなことなんて一切言ってはいけないと思ってました。
でもでも、ネガティブな感情が一瞬もない人なんていないですよね。
ネガティブなことを人前で言わなきゃいいだけなのにいつしかネガティブな感情を持つことそのものが悪だと思い始め、その頃から葛藤が酷かったです。
普段酷いことをされても全然怒ることができないのもそれです。
怒るほうがヤバいのかもとか、怒ったことを陰で嘲笑われるかもとか思ったらもう何の反応もできませんでした。
こういうことを言う必要って多分本当はなくて、昔から私を知ってる人なら一度私のつもりで5年を振り返ってくれたらもう大体わかると思います。
だから人によっては「ああ、とうとうか」って思ってると思います。
停止するって言ったのは引退するって言いたくなかったからです。
引退するって言ったらさほど交流のなかった人が「お疲れ様でした」って言ってきますよね。
あれ大嫌いなんです。
全然付き合いない人に大きい何かがあった時だけ話しかけられるの本当に嫌いです。
人見知りですしね。
私はずっと「リスナーさんは友達」って言ってました。
コロナ禍の頃はとんでもない時間に飛んでくるDM全部返してました。
それは友達だと思ってたから。
YouTubeはそうですね、mixiみたいなものだと思ってましたよ。
動画を投稿できるSNSだと。
私が気が弱いと思って暴言を吐いて砂かけていった人、自分からした約束を守らずにいる人、加害者をかばい続けた結果周りに誰もいなくなった人、大勢の人に迷惑をかけて何人も引退に追い込んでもみんなに庇われ続け最近プライベートの事情で華麗に引退していった人、色々あるけど何をしようが何を思おうが人の自由です。
でも、私にもその自由があるってことを私は思い出しました。
だから停止します。
でも存在が消えるわけではないです。
でもでも、ありがとうございました
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