見失わないほうがいいこと

思考

昔、ニコニコ動画に投稿していたこともあって、心無い言葉や辛辣な言葉をたくさん見てきた。
私がそれらの言葉に慣れることはなく、いつからか投稿したらしっぱなしでコメントがどうなっている等の確認を一切しなくなった。
それは、コメントした人をある程度のところまでは投稿主が特定することが可能なのに、誰が見ても不快な気持ちになるコメントを書く人がいなくなることがなかったから。
消したら消したで文句を言われるし、一度「うまいですね」というコメントがたくさんついた時に「自演だろw」と書かれたので、「うまい」という言葉を「下手」という言葉に表示されるようにしたら「やっぱり自演じゃんw」と言われ、自演の意味がわからない人は皮肉もわからないんだなぁと遠い目をしたり。

そういえば昔、知り合いの動画にとんでもなく不愉快なコメントがついていて、その知り合いがちょっと調べただけでコメントを投稿した人が割と仲の良かった友人であることが判明したことがあって、あれはちょっと衝撃だったなぁと今でもたまに思い出したり。

街角で急に人の肩を叩いて呼びかけて言葉を投げかける。
直接コメントをすることはそれに等しいことだと思っています。
そう言えばそれ以上のことは言う必要はないかな。

嫌な言葉ってなかなか忘れられなくて振り回されてしまいがちだけど、その言葉を撲滅しようとしすぎるとどんどん他人に厳しくなっていって自分自身がモンスターになることもあるので気をつけたいところ。
私もね、あるんですよ、友達を傷つけたこと。
「どうしてそんな拙い音源を投稿するの? 叩かれるだけだよ?」って。
その時真っ直ぐな目で言われたんですよ。
「下手な人は投稿しちゃダメなの?」って。
顔が熱くなってキーンと耳鳴りがしてフリーズしました。
しばしの沈黙の後「ごめん、ダメじゃない」と言いました。
うん、ダメじゃない。ダメなわけない。
とても自分が恥ずかしかった。
自分も不愉快なコメントをする人たちと同じ思考になっていたんだと気付かされました。
「ダメなの?」って言われたら言い返せないようなことを主張するのはカスカスのカスだと今は思って生きてます。
あの時の私、とんでもないバカだったなぁ。

例えば「トレーニング」してるって言っても、その目的は人それぞれ。
それなのに全ての人を同じ土俵で勝手に評価してネガティブな言葉を投げつけるのはどうかしてるわけで。
どうかしてる行為がまかり通っている界隈はどうかしてる人の温床になっていくわけで。
そうなったらもうそこにいたくなくなるよね。

見失いたくないな……

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