Twitchで配信するようになって今までとは違う楽しさを感じている。
というか多分、純粋にゲームを楽しめているということな気がする。
これまでどれだけガチガチな精神状態でYouTubeをやっていたんだろうなって振り返ってしまった。
できるだけ全部拾って、決して怒らずイライラせず、よほど疲れていない限りはオチがつくまで続けて、なるべく求められていることを選ぶようにして。
別にそれがセオリーじゃないのにどうしてそうなっていたのかは謎。
配信を始めた時に既にもう周りが出来上がりつつあったことも原因のひとつだったのかも。
今ではもうその周りも崩壊してしまったけど、私に染み付いてしまった習性だけが残ってしまったという悲しみである。
おうたの活動を再開したくてニコ動引退から7年ぐらいのブランクを経てYouTubeにやってきたわけだけど、結果的におうたをストップしてTwitchでゲームしてるのものすごく謎だけど、楽しければいいかという気持ちもあるのでそれでいいのかもしれない。
歌える限りずっと歌っていたかったなという気持ちはあるけど、その気持ちを支持してくれる人が特にいないのならやめてしまったほうが楽なのかなって思いました。
やめることはそれなりに辛いけど、続けていくことで味わう辛さと天秤にかけたらやめるほうがいいかなって。
最近改めて思うのはなんでも「いい時にやめる」のがいいなということ。
7年前の引退は活動としては一番盛り上がって数字もあった時で、家庭の事情でやめざるを得なかったので特に告知することもなく静かに急にやめてしまったんだけど、未だに私を探している人や公式イベントに出て欲しかった人で名前を上げてくれてる人や、◯◯してみた系で音源を使用してくれている人がいたりして、当時は辛かったけどあの時にやめたのはひとつの正解ルートだったのかもしれないなと思います。
限界を感じているのに何年もやめずに活動を続けたのは今の活動が始めてで、すごく私らしくないムーブをし続けていたのはなぜなんだろうってずっとわからなかったんだけど、でも、やっぱりこれまでと違って人の動向が見えすぎてる世の中になったことが原因かなと思いました。
ニコ動にいた頃は同じカテで活動していた人とTwitterやskypeで繋がってはいたけれど、見てくれてる方々と繋がることはありませんでした。
かろうじていつも見てくれてる人がちょっとだけわかるのが「広告」でした。
私は動画だけでニコ生はしてなかったので、いつもコメントしてくれる◯◯さんみたいな存在はあの時はなかったです。
だから視聴者のことを考えて何かをしようと思うこともなくて、ただただ自分のやりたいことだけしていました。
私みたいに人を人だと認識してしまうと求められてもいないのに気を遣ってしまう者にとっては、現代はちょっとしんどく感じることが多いのかもしれないですね。
リラックスできてる配信は楽しい。
最近配信が楽しい

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